この日を忘れない

1週間寒い日はあったが天気は良かった。
今日は雪予報だが雪というかミゾレで寒さを余計に感じる日だった。
この日を忘れない。
そう思うけど、過ぎればむしろ霧の中のようにも思える。

喪服は着ない。そう兄妹で決めた。
着ない、というか互いに喪服としての喪服が無いからだ。
私は元々そうだし兄ちゃんは着られなくなってしまった。
新しいものを買うことはしなかった。
誰もいないからそれでいい。

市場で買ってきた花を短めに切って用意する。
さすがに今日はギリギリは嫌なので兄ちゃんをせかして早めに行くも・・・
既にお坊さんは着いていた。

祭壇は出来ているが他のものを飾ってもらったりと用意をする。
自分達だけだから全て自由だ。
兄妹が満足し、きっと母ちゃんもこれでいいだろうと思えることをした。
遺影は百合と一緒に笑顔の写真。背景もそのままにした。
よくある遺影遺影した真正面に型抜きされたやつは嫌いだから。
それ以外にも写真を並べた。
数年前に逝ってしまった猫。
奇しくも母ちゃんの命日の一日前が命日となる子だ。
可愛がっていた、というと少々なんだが、まあ他人には「可愛がっていた」で良いだろう。
伯父の手紙も添えた。
母ちゃんの携帯も開いて並べた。
誰かに何か届くのか届かないのかわからないが。

親父の時から寺は同じだがお坊さんは代わっている。
(親子の代替わりとは違う)
今のお坊さんでの葬式は・・・初めてだったっけ?
とりあえずじっくり聞いたことがなかったように思う。
それとも2人だけで聞いているからだろうか。

斎場の立派なホールでお坊さん以外は兄ちゃんと2人きり。
立派な花の祭壇に祭られた遺影。
遺体のある棺は桐にした。
流行の布張りより桐の方が好きそうだから。
ちゃんとご飯は炊いたし団子も作った。
ご飯を盛るのがかなり上手くできたが団子を丸めるのは下手だった。

今は火葬場で顔を見られないとのことで、顔を見ることができる最期。
気丈な、というわけでもない。だがもう今日はそれほど泣いていることはなかった。
だけど最期のお別れは、他に誰もいなくてよかったと思えたほどだった。
斎場の人達もその寸前に比べて激しく嗚咽する兄妹でもらい泣きしただろうか。

市場の花をこれでもかというほど詰めた。
花を沢山にしてほしいという希望は叶えられたと思っている。
クギ打ちの儀式は斎場の人が今ひとつで兄ちゃんがガンガンにクギを打った。
ええと、たぶん、それってガンガンうつやつじゃないけど。

親父の時は派手な葬儀だったので参列者が沢山いた。
火葬場にも山ほどの人数で行った覚えがある。
何しろ車が何台もあったのだ。
今日は霊柩車の後ろにお坊さん(自分で運転するお坊さんなのだ)
そして兄ちゃんの運転する車。
お坊さんが火葬場から直接帰るから3台だが、そうでなければ2台だったところだ。

火葬場で本当の最期のお別れは焼香だけ。顔は見れない。
焼く中に入る瞬間、出せる言葉が無かった。
ようやく搾り出して出た言葉は「かあさん!」それだけ。
案外そんなものだろう。

骨になった母ちゃんは大変綺麗なものだった。
どこも悪くなく、元来骨が丈夫であったことも語られている。
兄ちゃんが自分が助けられなかったと後悔していたが、
決して兄ちゃんのせいなどでないと証明されて良かった。
(親父の時に悪いところは緑青のような色になると教わった)
大きな骨を拾ったあと火葬場の人が色々処置をしてくれている間、
そのあとのために兄ちゃんが車を取りに行き1人で火葬場の人のやることを見ていた。
全ての骨を集めクギ打ちしたクギだけを避けて骨壷に入れてくれる。

ふと、腰のあたりを軽く押された。

後ろには誰もいない。

そうか、と思った。

この1週間で、兄ちゃんや伯母のところにはどうやらお別れに来た話があったが、
私にはさっぱり全くもって無かった。
まあ心配していない、というと無情みたいに聞こえてしまうが、
そうではないのだが心配していなかったのだろうとしか言いようが無い。
ま、そんな感じで私のところには何も無いと思っていたが、
最期の別れは言ってくれたということだろうか。
どちらでも悪くない話だ。

ミゾレの中、家へ帰る。

まだ泣く日はあるだろうが、もうそれほど激しく泣く日は無いだろう。
何しろ泣いてばかりも疲れてしまうのだ。
風化はしないが落ち着くことはできるのだろう。

私達兄妹は今日母ちゃんを見送った。

どこかにある日

嫁同士である、父方の田舎に住む伯母が母ちゃんと幼馴染でもある。
(ちょっとややこしいな)
通常なら嫁同士だから結婚してからのつきあいだが、幼馴染なので小さい頃から知っている仲だ。
お年寄りで足が悪く1人で電車を乗り継いでくるには無理がある。
先日、その娘夫婦はお線香をあげにきてくれた。
だが本当はその伯母がまずは来たいのだ。
年寄りだしコロナもあるし本人が遠慮します、というならそれはそれで良いと思っている。
けれど電話で話してみれば「行きたいけれど周りが『コロナだから』と止める」と判明。
娘夫婦は車に乗せてきてやることもしない。自分達が来ればそれで終わりだと思っている。
「来たい」という意思を聞いたので兄ちゃんと迎えに行こうとしたところ、
それを聞いてようやく連れてきてくれることになった。
最初からそうしろよ、と言いたくもある。言わないが。
そんなこんなで伯母が来てくれた。
涙を流して別れを惜しんでくれている。

時同じく本日は私の友達も来てくれた。
母ちゃんも伴ってよくドライブに行っている友達2人とその子供達だ。
1人は小学校からの友人。彼女も数年前にお母さんが急死した人。
しかもウチより相当若かった。
私が悲しむ以上にきっともっと悲しかったのだろう。
もう1人は1つ上の友人。地元が一緒だが大人になってから知り合った人。
それぞれの子供達は生まれる前から見てきた。
母ちゃんも知っている。もう一緒にドライブに行くことは無い。

伯母と従姉妹は帰り友達親子達と食事に行った。
ついつい話に花が咲き、子供が飽きてしまう(それはそうだ)
同級生の友人宅に行ってまた話し込む。
恐らくきっと私の気落ちを気遣ってくれたのだろう。
私と彼女は弱音を吐きあわない。
何でも話すことが親友だ、などと思っていない同士だ。
そもそも「親友」などという言葉でくくりつけたりもしない仲。
だから慰めや悼む言葉なんて互いに出さない。
ただ懐かしい話をするだけ。
いつかこいつに何か返せるだろうか。

そして・・・今日がゆっくり母ちゃんと別れをする最期の日だった。

そうか、世間は三連休。

昨日来てくれた同じマンションの方が今日はご夫婦で来てくれるというので葬儀社さんで待ち合わせ。
到着したらご夫婦だけでなくお子さんも連れてきてくれていた。
通夜でも葬儀でもない自由な形式なので、こういうのもあるよと話してみる。

兄ちゃんの友達も来てくれた。
ウチにも何度も来てくれてた人達なので私も知っている。
尤も相手の方たちは私が小さい頃のイメージのままで面食らっていた様子。
(小さい頃は背丈も小さかったのだ)

あまり食べていない日々を続けているので体力の激減を自分でも感じる。
このままではマズイなとも。
帰りは1人になったこともありサイゼリヤへ。
1人でしっかり食べてから家へ帰る。
飲食店は根こそぎ20時までの営業という張り紙を見かける。大変だな。

血のつながりは大事ではないと実感する

写真は割りとすぐに探しているものが見つかったのだが・・・
着物は難航を極めた。
ウチは貧乏の部類に入ると思うが母ちゃんは着物だけは沢山ある。
昔の親父の仕事の関係もあり着物だけは沢山作ったのだ。
しかも私が生まれたので娘に受け継げると思って。
(残念ながら大きくなりすぎて母ちゃんのは着れない)

箪笥の一部が桐引き出しになっていて、そこに着物がある。
入りきらないものは茶箱に入っている。
全部ひっくり返して1つ1つ確かめた。

生前から葬儀の際には~と話していた。
私が子供の頃に良く見た着物がありそれにしようかと言っていた。
だがそれは年中着ていたので違うものがあるならそれが、と私も言った。
そしたら「じゃあ紋付もあるんだよね」と、結局どれなのかはっきり聞いていなかった。
言っていた子供の頃に良く見た着物が出てきたが、それは他のと一緒にたとう紙に入っていた。
そして紋付の色留袖が仕付け糸のついたまま出てきた。
直感でこれだ、と思う。
たぶん違わないと思うんだ。これにした。

今日は昼から母ちゃんの死化粧をしてもらう日だ。
(顔の化粧だけでなく全体を整えてくれる)
一応両方の着物を持っていって最終は兄ちゃんにも確認した。
紋付でいくことにした。
着物が地味なので帯は色味のある少し派手な方にした。
足袋だけは歩き疲れないよう履き古したやつ。
新しいやつだときっと足が疲れてしまうから。
扇子もハンカチ代わりの大判のやつも入れた。

生前決めていたようでも結局その時になって慌てるものだなと。
できるだけ細かく生前に決めている方が良いのだろうな。

朝から少し早めに動いて花市場に向かった。
祭壇を少々安くしてしまったのでせめて花は増やしたい。
幸いにも市場を知っているので兄ちゃんと向かう。
男気溢れる買い方をしてしまった。
「じゃあそれ1ケース、こっちは束で。」
カスミソウだけ別の店に。
「残りはこれで全部です」と出してくれたので、「じゃあ全部で」という具合。
こんなに派手に花を買うことはもう生涯無いと思うわ。
母ちゃん希望の花は夏物が多いのでありもので買ったがまあ満足する買い物はした。


今日は儀式に合わせて少々多くの人が来てくれた。
母の幼馴染が具合が悪い中、弟さんに車で連れてきてもらったそうだ。
その弟さんというのも母ちゃんと小さい時から知っているとのこと。
母ちゃんから昔の話を聞いているので知らないのに知っているかのように話に花が咲いた。
年末にドライブに行った際に幼馴染に土産を買っていたのを知っているので持参してお渡しした。
寒いからほうとうをあげたいと母ちゃんが言っていたのだ。

それから、この時代なのに母ちゃんは近所付き合いをしており・・・
同じマンションの方が来てくれた。
お隣さんはご夫婦で、そして別の階で仲良くして仕事を紹介してもらったりした方。
どちらも若めのご家族だ。なのに母ちゃんと仲良くしてくれていたのだ。
皆が母ちゃんに世話になったと言ってくれる。

そして母ちゃんと長いこと同僚だった方も来てくれた。
この方は勤めが無くなってからもずっと付き合いがあり、先月も食事会をしたのだそうだ。

みーんなそんな風に足を運んでくれている。
来ないのは血の繋がった人。
まあそんなもんだな。

それだけはやらねばならない事

田舎から従姉妹夫婦が来てくれた。
同時に私の友達も来てくれた。

母ちゃんの知人はもちろんだが、兄ちゃんや私の友達も母ちゃんを知っている人が多い。
しかも知るだけでなく一緒に遊び行ったりもしている。
今日来てくれた友達も会社で知り合ったが一緒に遊び行っている。
コロナに対してかなり警戒している人だがそれでも来てくれた。ありがたい。

そして私が子供時代を過ごした場所での近所のおばさんが来てくれた。
家族ぐるみで付き合い一緒に旅行などもした仲だ。
杖をつきながら息子さんに送ってもらって来てくれた。
更に近所の懇意にしている魚屋さんのおばさんが来てくれた。
葬儀社さんは近いがそれでも少しある。
家族が車に乗せて連れてきてくれた。
すごくよくしてくれるおばさんだが全くの他人だ。

ところで。
母ちゃんの実の兄にあたる人がなかなか連絡が取れずようやく電話が通じた。
コロナを警戒して来ないと言う。
それはそれで構わないが血の繋がった兄妹が死んだのに見に来ないって後悔しないのだろうか。
もちろんそれはそれぞれの考えだから構わないが。
ただまあよく言われるが「遠くの親戚より近くの他人」を実感した。
私達兄妹は両親もいたが近所の人達に育てられた。
この恩はどこで返していけば良いのかと悩むほどに。

実はあまり食べられていないので体力が激減していてすぐに疲れてしまう。
夜も寝不足が続いてダウン寸前だ。
だが今日はやることがある。ちょっとだけ仮眠して夜中に起き上がった。
やろうとしてできていなかった写真と着物を探さねば。

毎日が過ぎ行く

毎日兄ちゃんと母ちゃんのところへ行く。
薄情に見えるかもしれないが様々連絡したり所用を片付けていると訪れるのは1時間程度。
お金があれば金だけ支払ってあとは泣く事に専念できるのだろう。
だけどそうではない。
だから色々考えねばならないことは多い。

葬儀一式に正解があるのかは知らない。
「これが一般的」はあるだうが、一般的から逸脱してどうなのか不明だ。
コロナも相まって兄妹2人で全てやっているので自由だ。
形式もへったくれもない。
葬儀社に迷惑にならない範囲で好きなようにしている。
喪服も着ないことにした。
一応黒っぽい服は着るが喪服としてなっているものではない。
新しく買うこともしない。
だって誰に遠慮する必要があるのか。

自分が忘れないために

一度下書きを保存したはずが・・・消えてる。
書くなということか?と思いつつもう一度書く。
だって残しておきたい。

寒くなってすっかりホットカーペットの上で寝ることが増えた。
すぐ横にあるベッドから掛け布団だけ引きづり床はホットカーペットだ。
だって寒いから。
昨日もそうだった。
夕食を食べてボヤボヤしていたら眠くなりそうした。23時頃。ちょっと早寝だった。

暗闇で携帯が鳴る。
表示は兄ちゃん。真夜中の兄ちゃんからの電話。
一生に一度かかってくる電話。そして一生で一番出たくない用件の電話だ。
だけどすぐに出なければとも思う電話だ。
救急車を呼んで到着するまでの間にかけてくれたことがわかる。
コチラ側ではなにもできない。
1時間も経たないうちだっただろうか再び電話がきた。
完全なる報告だった。

ともかく朝までは動けない。
電話では電話代が膨大なのでラインを繋ぎながら朝を待つ。
途中大泣きもした。それでも何も変わらないのはわかっているが。
3時半くらいに出かける用意をしないとと気づく。
風呂も入っていないので入って身支度をし5時前に家を出た。
時間はあったので経路を調べたら京都駅経由が早い。近鉄に乗って京都駅へ。
京都駅で新幹線の切符を買いホームへあがると新幹線の始発に間に合った。
自由席に落ち着いてしばらくすると涙が零れて止まらない。
周りに知る人がいるわけでもない。流れるまま泣く。
地元の駅に着く頃に仕事の始業時間が近い事に気づき先輩にメール。
優しい返答をいただく。また涙。
電話できるところまで来て会社に電話。
昨日付けで派遣終了を先に言ったらそら驚かれた。もちろん理由を話して了承頂く。
派遣会社にも電話。ひとまず自分の事を終わらせないと母の事に専念できないから。

実家のドアをあけて家の中へ。
兄ちゃんは午前中だけ仕事に行っているのはわかっている。
帰ってくるまで待つ間、また大泣きした。隣に聞こえていただろう。

もう出迎えてくれる母ちゃんは・・・いない。

親父の時と違い血を吐いた跡などなく痕跡が見当たらない。
だから余計にただ留守なのではないかと錯覚してしまう。
だけど実感している自分もいた。
ボンヤリしている場合でもなく葬儀社に電話。
母ちゃんは生前互助会に入っていて支払済みだと言っていた。
そんなことをしているうちに兄ちゃんが帰ってきた。
長いこと母ちゃんが働いていた病院に行ったりなどしてようやく警察へ母ちゃんを迎えに行く。

入浴中に物音がしないので兄ちゃんが声をかけて入ったところうつぶせに顔を浴槽につけていたと聞く。
親父の時にかかりつけの病院もなく突然死だと解剖にまわされると聞いたことがある。
母ちゃんは以前の勤務先に通院していたが家の中で裸での突然死のため、状況によっては解剖にまわされるらしい。
警察で長くて短い間兄ちゃんと待つ。
心配していた解剖にはならなかった。
検死により出た答えは【虚血性心不全】なるもの。
後で調べると本当にもう突然心臓が止まった、というものだそうだ。
風呂場でとのことで裸は可哀想だからと新品の下着を持参したが警察では何もできなかった。
葬儀社さんが浴衣に着替えさせてくれていたのは救い。

当初兄ちゃんは家に連れ帰りたがっていた。
だが葬儀社さんの話だとウチは階段が急で玄関がかなり狭いので遺体が傷むらしい。
それでも兄ちゃんが決断するまでは何も言えなかったが決断してくれて、
母ちゃんは葬儀社さんに運ばれることになった。

私はまだ母ちゃんの顔を見ることができていない。

葬儀社さんに運ばれてようやく母ちゃんと対面できた。
案外綺麗な顔をしている。
溺死になるのかと思っていたが多少水は吸ったが恐らく心配停止が先でそれほどでないと言う。
私よりも身だしなみに気を使う人だったからそれは良かった。
兄ちゃんと2人で最期のお別れの初日を過ごす。
家ではないので時間が決められている。
家族で初日なので多少は融通してくれたが。

世知辛くも葬儀を決めなければならない。
兄ちゃんがどうしても仕事があり少しだけ会社に行った。
その間に決められることを・・・というが私1人で決められる事はそう無い。
親父の時はセットで全部となっていたが現代は1つ1つ決めて組み合わせる。
まあ・・・こんなこと言うと何だがバイキング方式。
合間にエンディングノートを見る。
71歳の北海道旅行の際に渡したもの。
本当は葬式の欄など埋めてほしかったが自分史に熱が入っていたのがわかる。
葬儀は最小限で花だけ沢山にしてくれというのがわかる。
それは生前にもよく言っていたこと。
あとは自分の和服にしてくれとも。

兄ちゃんが合流して葬儀の事を決める。
火葬場が混んでいて1週間後となる。
その間は葬儀社さんでお線香をあげられるとのこと。
こちらも常時待機はできないが自由に来て顔を見てもらえるのは今の状況にはよくあっている。
葬儀は色々組み立てたら50万円ほど。
互助会を払っていてこれだ。無ければ恐らく倍程度かかるのだろう。
他にお坊さんへと火葬場への支払いがある。
だけど削りに削ってのこと。これ以上削る気にはなれなかった。

告別式は兄妹2人だけ。
母ちゃんの希望であり、兄妹での要望でもある。
他はかなり削ったが母ちゃんの化粧と花祭壇だけは曲げなかった。
とはいえ花祭壇は一番安いものだけど。

昨日は人生のうちで一番長い一日だった。