平常運行

「いつも通り」というと、あまり「通り」となるいつもが無いのですが・・・
それでも自分の事だけ考えて自分の生活のためだけに生きていく「いつも」。
短期は別で、ちゃんと長期の面接にも行っていますが決まりません。
採用なら今日までに電話くれるって言ったところも無し。
だからまた探さないと。
それを「いつも通り」かというと、ちょっとアレだけど。

何故か偶然にもあの日も仕事を探している最中でした。
一ヶ月前に仕事辞めて新しい職場を探し中。
丁度花屋さんの募集があって面接へ。
折角町へ出たからと帰りに天王寺駅途中下車。
駅ビルの上のほうにある本屋さんへ。
色々立ち読みをしていたら変な眩暈が継続。
・・・と思ったら地震
だって大阪ならてっきり地震で騒ぐと思ったのに静かなのよ。
遠くに見えるレジのあたりを見たらざわついててようやくというところ。

随分長い眩暈で速攻何科の病院に行くべきか悩んだような。
(辞めた仕事がPCハードで神経系統かと思ってたので)
でも地震がわかり、安心?!して立ち読み再開。

久々に町に出たからと食べる物も買い込んだ覚えが。
まずは551で肉まん2個入りと甘酢肉団子。
ちょっと変わった輸入食品も多いスーパーでトマト(他忘れた)
お菓子も幾つか買ったような(うろ覚え)
地下鉄に揺られ帰宅。

帰宅してすぐにラジオをつける習慣なのでいつも通り。
BGM程度なのであまり内容は聞いていない事が多いんだけど・・・
臨時か定時か忘れたけどニュースで「先ほどの大きな地震云々」
確かに眩暈かと思うような地震だったけど「大きな」は違うような・・・
ラジオは消してTVに付け替えた。

私はその感覚を確かに知っているのに言葉で表現できない。

大型ホテル火災
飛行機の墜落
中国で日本の高校修学旅行生の列車事故
エジプトでの邦人新婚夫婦殺害事件
阪神淡路大震災
アメリカでのタワーでの飛行機事故

TVで見ているのは確かに事実なのにどこか遠い現実。
当事者でないからノンキなんだと怒る人がいるかもしれない。
だけど「いつも当事者になれない私」という気持ち。

あの日TVで東北の状況は何となく把握できた。
報道も混乱しているので「何となく」程度でしかなかったが。
わからないのは東京。
今思えばそれほどひどい倒壊などないから後回しだったのだろうけど。
だけど遠い地では何もわからない。

携帯のメール履歴はさほど残さないけど地震の時のは保存してある。
履歴を見ると16時半に母ちゃんと兄ちゃんにメールを送信。
文面からその前に電話をかけてみたけど不通だったとわかる。
実家に程近い友達2人にも連絡した事は覚えている。
地元あたりがどうなのか知りたかったから。
結局連絡が取れず不安なまま。

時刻表、紙の地図、NETの情報様々で思案する。
それから冷蔵庫内と室温だけど長期保存ではない食品を点検。
さっき買ってきたばかりの食品もある。
リュックはないのでカートの一番大きいのを用意。
靴はバッシュ、ジーンズ、他は忘れたけど動ける格好にしたと思う。
もたない食品は全て食べるため少々豪華な食事を用意。
明日はあまり食べられないかもしれないから沢山食べる。
旨いとか不味いとか瞬間的に感想が自然にでてこない。
自分は美味しいものを食べているのだと確認して食べていた覚えがある。
食べない食品のうち冷凍できるものは全て冷凍。
他、冷凍はできないけど持ち歩けるものはカートに詰めた。

20時頃には兄ちゃんからメール返信があり無事確認。
横浜の友達からも揺れたけど異常無しと。
色々用意したり情報を収集したりで確か夜中1時。
TVからラジオに切り替え一晩中つけて眠った。
朝は4時すぎには目覚ましをかけていたように思う。
「よく眠れた」という気持ちは無かった。
少しだけ眠った程度。

前夜は止まっていたJRも動いてる様子。
NETでJR東日本と西日本を確認するが大丈夫そう。
※後でこの確認ミスが痛い目を見ることに。

後は動いてみないとわからない。
6時か7時頃に家を出たような気がする。
18きっぷシーズンだったので各停を乗り継ぐ。
新幹線も再開していたが万が一止まると長時間缶詰になるので避けたかった。
(あと働いてなかったし)
豊橋行きの電車も時刻表通りで出発。
ウツラウツラしながら乗車。
名古屋で特に何もアナウンスは無かった。
そのまま降りずに豊橋まで・・・
段々豊橋に近寄って次の乗り換え案内で衝撃的事実を知る。

熱海方面行きは津波警報のため不通

そうですね。
私、JR東海のサイトは確認してませんでした。
降りないから認識不足、としか・・・
アナウンスはしきりに新幹線への案内をしている。
だけどさ、それなら名古屋で案内すべきじゃね?
まあ後の祭りで仕方ないので乗ってきた電車の折り返しで名古屋へ。
名古屋で中央線に乗り継ぎ長野県経由甲府周りで向かうのです。

途中、塩尻で電車を待っていた時のこと。
ホームから見えるすぐ前で家を建築中。
遠く離れた長野県では当たり前に家を建てている最中。
その少し向こうに見える駐輪場では高校生男子数人が騒いでいる。
雰囲気的に鍵を無くして鍵壊そうとしている感じだった。
うまく言えないけど、その「当たり前」を、
「ああ、それが当たり前なんだな」と別段意味も無いことを考えていた。

更に電車を乗り継ぎ新宿を通過する時の景色が衝撃的だった。
歌舞伎町に入る通りがガラガラ。
普段ならタクシーが二重三重にいる大通りなのに。
あんな新宿見たことない。
更に更に乗り継ぎようやく地元の駅へ。

バスに間に合い乗り込んだのは22時も過ぎてから。
乗車して座った途端泣きたくなった。
(人目があるから泣かないけど)


何も悪いことはしていないんだけど・・・
あの時「何故半年前に大阪に引越していたんだろう」と
勝手に罪悪感を抱いていた事を否定しない。
阪神大震災のときはまだこちらに縁も無くて遠い地だった。
今度はそちらに移って来れば反対に地元が震災の余波。

家族に連絡は取れず状況もわからず。
自分が何かにあっているならどうとでも這い蹲るけど、
状況のわからないもどかしさは嫌い。

家族が亡くなる事を覚悟した。
母ちゃんはいずれ何十年もではなくその日がくるだろう。
だけど東京を離れる時はまだ先の気がしていた。
もちろんそういう事はちゃんと覚悟して東京を離れたけど・・・
それでも。
改めて覚悟した。
今母ちゃんはとても元気だけど・・・

次にかかってくる電話は訃報の知らせかもしれない。

そう思うようになった。
そんな覚悟はあまり芽生えてほしくはなかったが。