石原プロと呼べばいいのか、石原軍団と呼べばいいのか・・・
「石原裕次郎という昭和の大スター」と書くと、
何だか大した事無い様な文字の羅列に見えて残念だ。
ウチの両親の若き時代に大変なスターであった人。
戦争という、敗戦という、とてつもなく大変な時代に、だ。
今幾ら騒がれてもあれだけの人はいないのだろう。
そしてそこへ集まる人々。
集まった人々を慕って更に集まる人々。
男くささで離れていく人がいたのも事実だろう。
それでもそこにいたのは、石原裕次郎という人がいたから。
亡くなった後でさえ人が集まったのだから。
石原裕次郎という人はプレハブ小屋が好きだったそうだ。
立派な事務所は嫌がったそうだ。
炊き出しが有名だ。
これは石原裕次郎が、
スタッフと俳優の食事が違う事に激怒して始まったのだと逸話が残っている。
そういう人だ。
石原裕次郎に集まる人Aと、Aに集まったBという人。
そんな人達が作り上げた集まり。
解散するそうだ。
遺言だって言うじゃないか。
それも今まで言い出せなかったって。
時代の流れがあり、人々の年齢があがったのだ。
奥様も大分高齢と言わざるを得ない。
お子さんはいない。
周りは、
「仕方ない」と言いながら惜しむ以外に何もできない。
その魂を受け継いだ人達は残っても、
あの格好良い男達の集まりはもうなくなる。
誰もが惜しむような団体があったのだ。
なんと格好良い話じゃないか。
母ちゃんを裕次郎記念館へ連れて行けたのは、
最大に良かったことだと思っている。