猫の話

以前実家に居た猫の話でも書こう。
命日でも記念日でもないが、ま、お盆が近いので。

そいつは長毛種で手足は黒くて・・・
そう、ひと目見たら「可愛い!」と大抵言ってもらえた見てくれだった。
猫美容院で引き取り手を捜していたのを、
ある日母ちゃんが貰って来たのだ。

ペット禁止のマンションだけどな。

それについてはどこかでうっかり口にすると、
安っい正義感タップリに演説を始めるバカがいる話は割愛。

恐らくは仔猫を「かわいー!」で飼って、
成猫になり手放したのだろうと思われる。
それも生涯に渡って想像していたのだが、
猫美容院に来る前は閉じ込められていたのかな?と思われる。
(そういう節が時々あった)

実家は母ちゃんと兄ちゃんの大人2人の生活だ。
当時既に私は結婚しており近くだが別のところで旦那と暮らしていた。
実家には時々寄る程度だ。
だから猫的に私をどういう人に思っていたかは謎・・・でもないw
途中から離婚して家は別だったがほぼ毎日実家に来ていた。
猫にとっては、兄ちゃんは絶対服従、母ちゃんはご飯と寝るお供の人、
そして私は自分(猫)より下の存在に思われていたと思われる。

機嫌が悪いと、横を通るだけでフイ~と怒る。
いや、それ、私何もしてないし?とかよく猫に向って言っていた。
(私は基本的に猫だろうが子供だろうがお構いなしに平等に言う)

そうそう。見た目が可愛いと書いたが、外面は良かった。
ピンポンが鳴ると一目散に玄関に出迎えに行く。
いや、お前、このマンションはペット禁止だからな?だ。
子供は嫌いだが、女の人とか細身の男の人が好きだった。
兄ちゃんの友達の少々ゴツイ人には怖がっていた。

客には愛想が良いが家の中では威張っている、所謂内弁慶w
兄ちゃんと母ちゃんにも時には逆らっていたりもした。
まあ・・・私は年中足蹴にしている印象だったけどな。

ある時、具合が悪くなり動物病院へ連日通うことがあった。
朝は私と母ちゃんで車で病院に連れて行き、一日入院。
夕方に母ちゃんが自転車で迎えに行っていた。
(私の勤務先は遠かったので帰りは行けなかったのだ)
その中で母ちゃんが仕事の都合で行けない日があり、
私がたぶん休みだったので夕方迎えに行くことになった。

ケージから出され台の上に乗せられると、
一目散に私に駆け寄ってきた。
その時「ああ、普段はあんなだけど家族に思ってくれてるんだな」と感動した。

それから、東日本震災の後、しばらく実家にいることがあった。
(当時はもう関西に越していた)
昼間、私と猫だけの時間を過ごしていると少し大きな余震があった。
表情が無いとも言われるが猫とて異変を感じて「変な顔」はする。
隣の部屋にいたが「早くこっちおいで!」と呼べば走ってやってきた。
しばらく1人と1匹で余震がおさまるのを待った。
(普段は私が呼んでも見向きもしないが)

年末に帰省したときの事。
どうも動きがおかしいと思っていたら、母ちゃんが、「ぶつかって歩いている」と。
片目が見えていない様子だった。
とにかく危ないから居る間はぶつからないように様子を見ていた。
年が明けて初詣に行った。
あまり猫が食欲が無いようだと言うので帰りに柔らかいフードを買った。
夜は少し食べていたと思う。

夜、寝ている間に逝った。
朝早く母ちゃんに起こされるともう身体は硬かった。
それは「今日大阪に戻る日の朝」の出来事だった。
友人に教えてもらい供養できるお寺に連れて行った。
小さな骨壷におさまり母ちゃんに抱かれて帰っていった。
私は新幹線の時間があり、寺で別れて東京駅に向った。

東京駅に着くとどうも様子がおかしい。
有楽町の線路脇で火災があり影響で鉄道網は大混乱。
ぷらっとこだまなので他の新幹線には振り返られないので大人しく待っていた。
ようやく乗れたところで、こだまだからのぞみだのを先に行かせる為に、
少し走っては駅で長時間停車して、を繰り返していた。
確か大阪駅に着いたのは0時は過ぎていたと思う。
天王寺まで出られればネットカフェでいいかなーと、
環状線に乗り込んでしばらく行くと、
東京での遅れの影響なのにJR西日本が電車を特別に動かしてくれるという。
深夜2時だか3時だからに地元の駅に到着してタクシーで帰った。

最期まで、シンミリするなんて許さないと奴が言っているかのようだった。
私の机にはそんな喧嘩相手の写真が飾ってある。