再びの、この日を忘れない

葬儀の日はミゾレが降るほど寒くて、寒い寒い文句を言ったからか・・・
予報ではかなり暖かい、いやむしろ暑くなるらしい。
まあ墓は山の上だし丁度良いくらいだろう。

朝早くから花かごと墓用の花束を用意。
自分でできるって何と楽なことだろう。

今回色んな人に会った中で「兄貴風」というワードがあり・・・
何故か兄妹で大流行。
(兄は兄貴風を吹かせるタイプではないw)
着替えながら「兄貴風吹かせる服を着る」と言って、それらしいコートを着ている。

葬儀と同じく喪服は着ない。
無いから。
黒い服を着るけど、全部が真っ黒ではない。
いいじゃないか。誰がケチつけると言うのだ。
母とて喪服ばかりじゃ嫌がるだろう。

四十九日法要と呼ばれる本日の法要。
参列は兄と私の兄妹。
それに田舎の伯母と従姉妹。
たった4人だ。いいけど少ない。
伯母は先述の母とは血が繋がらない嫁同士の幼馴染。
元々少ない親戚だがそれでも本来言えば・・・いやもういい。
これが現実であり、以降の付き合いはこれで決まったと言える。
兄も私もそれで納得している。
それ以上でもそれ以下でもない。

法要が終わり納骨。
私は納骨に参列するのは初めてだ。
父の時は、母が私の検定の日を間違えたので学校に行っていた(苦笑)
墓石の下をあけるとどんな風になっているのか知らなかった。
(いや、NETの情報では知っているが)
中には父の骨壷。入りきらなかったのか周りに時計などある。
母は骨壷に全部入れた。
死の間際にしてた指輪やブレスレット、メガネ。
それから整理して出てきた私達兄妹の臍の緒。
(本当は火葬の時に一緒に燃やすと良かったらしいが)
あとは母の数珠。

また金の話になってしまうが・・・
墓石をどかして墓所を開けるのを依頼すると金がかかる。
ウチは金どうこう以前に当たり前的に兄が「オレ開けるけど?」と。
足場が悪く思い墓石は大変だったがそれでも無事事なきを得た。
父と母が並んだ。
父はともかく母はどう思うのだろうか。
昔の人だから、それはそれでと受け入れるのだろうか。
(仲が悪かったというのとも違うのだが・・・)

暗く寒い山の上に置いて行く事を許してほしい。
兄と決めている。
大きな転居の際に必ず両親もそこから移動させようと。
父はこの墓所を希望していたのだが、母は・・・
晩年は散骨でもいいと言っていた。
心では自由を求めていたのではないかと思う。
昔の人だから口に出すのを躊躇っていたのだろうが。

骨は落ち着いた山の静かな中こにある。
だけど母の魂というものはどこか別にいるんじゃないかと思える。
せめて今は自由であってくれればと。